写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み

1921(大正10)年―1930(昭和5)年

1921
(大正10)年
  • 11月3日 北白川宮成久王殿下、来館
  • 12月5日 高橋是清首相、就任報告で桃山御陵参拝。京都ホテルで晩餐
1922
(大正11)年
  • 2月5日 フランス答礼大使ジョッフル元帥夫妻・令嬢、来館
  • 4月27日 入洛中のプリンス・オブ・ウェールズ英国皇太子殿下、京都ホテルに来館
  • 5月21日 駐日フランス大使クロデール氏、来館
1924
(大正13)年
  • 3月31日 後藤新平子爵、来館
  • 11月28日 シャム皇帝・同妃両殿下、来館
1925
(大正14)年
  • 1月7日 伏見宮知子女王殿下、来館
  • 9月28日 京都ロータリー倶楽部発会式(会長・武田伍一、副会長・竹上藤次郎、幹事・井上武夫)京都ホテルで開催
  • 11月1日 インドのダランプール州王族マハラジャ・ウゾ・ララマク王妃・王女、来館
  • 12月16日 大丸呉服店社長・下村正太郎、京都ホテルで結婚披露宴を挙行、500名余りが参列(ホテルでの結婚披露宴のはしり)
1926
(大正15)年
  • 2月 京都ホテル新館着工(昭和3年完成。請負先は合資会社清水組。請負金額51万円)
  • 4月 井上武夫、京都ホテルの株式会社化計画を発表
  • 10月28日 救世軍ブース大将、来館
  • 11月12日 汎太平洋会議の一行185名が京都・都両ホテルに分宿
1927
(昭和2)年
  • 2月17日 後藤新平氏、来館
  • 2月19日 毎週土曜日に社交ダンス会開催
  • 6月7日 株式会社京都ホテル創立総会開催。(社長・竹上藤次郎、資本金125万円)
  • 9月 翌年11月の昭和の御大典時の宿泊所に決定
  • 9月29日 市村新京都市長の披露招宴開催
  • 11月1日 「株式会社京都ホテル」として営業開始
  • 12月12日 中立売警察署長よりホテルにおける宿屋営業及び料理屋営業の許可を得る
1928
(昭和3)年
  • 1月26日 第1回定時株主総会開催
  • 2月7日 政友会総裁田中首相の官民合同歓迎会、京都ホテルで開催
  • 2月25日 旧館跡地に新築中の京都ホテル、ルネッサンス様式の鉄筋コンクリート7階建本館竣工、営業開始
  • 9月10日 御大典参列の外国貴族の宿舎として、宮内省が決定
  • 11月1日 京都ホテル支店「京都ステーションホテル」の営業開始(社長・竹上藤次郎)
  • 11月8日 昭和天皇即位の礼に際し、国賓使節の宿舎として全館宮内省の借り上げとなる
  • 11月8日 御大典参列の外国貴賓入洛。英国大使他14ヶ国大公使、来館
  • 11月16日 滞在中の外国使臣の旅情を癒すための大舞踏会を開催
1929
(昭和4)年
  • 4月4日 近衛文麿奉賛会長、午餐会を京都ホテルにて開催
  • 7月16日 第4回定時株主総会で、男爵大倉喜七郎を相談役に招く。「京都ステーションホテル」を京都ホテルから分離
  • 10月~11月 太平洋問題調査会など国際会議相次ぐ

■この年、ニューヨーク株式大暴落。世界恐慌の始まり
■御大典式場跡拝観のための旅行客増加の影響によりホテル好況を博す

1930
(昭和5)年
  • 6月10日 石塚台湾総督、来館
  • 12月25日 京都ホテルの「クリスマスの夕べ」に政財界人ら500名が集まる

<1921-1930>

■世相

賀川豊彦『死線を越えて』がベストセラーになったように、プロレタリア問題に大衆の関心が高まる。震災不況、世界恐慌など、景気はしばし落ち込み、そのたびに厭世的な気分が広まるかのうちに、昭和の開幕。

それでも、サラリーマン家庭にはささやかな幸福を味わうゆとりがまだあったようだ。

ホテルの前をモボ・モガが闊歩したのもこの時代であった。

■流行語
  • サボる
    (サボタージュから)
  • 狭い日本にゃ住みあいた
    (馬賊の歌)
  • 労働者
  • アナ・ボル戦争
  • おれは川原の枯れすすき
    (船頭小唄)
  • ブルジョア
  • プロレタリア
  • 大ぶろしき
    (後藤新平のあだ名から)
  • インテリ
  • 文化○○
  • 円本、円タク
  • モボ・モガ
  • ぼんやりした不安
    (芥川龍之介の遺書から)
  • せまいながらも楽しいわが家
    (私の青空)
  • いっそ小田急で逃げましょうか
    (東京行進曲)
  • エロ・グロ・ナンセンス
  • 生命線

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