第五部 昭和戦後編 ~感慨無量~ 昭和21年~昭和63年

66.「京都ホテル」グループ

業界の競争が激しくなれば、それだけ多角経営をはかることになりましょう。 「京都ホテル」は「粟田山荘」「からすま京都ホテル」でグループをつくっています。

「粟田山荘」は昭和12年に、西陣の織元が別荘として建てました。粟田山の山裾の傾斜をうまく活かして、回遊式の庭園を営みました。
昭和28年に料理旅館に転身しましたのを、昭和51年「京都ホテル」が和風別館として経営することになりました。閑静な雰囲気の中で、四季のうつろいを愛でながら京風会席をいただけるのは京都ならではの格別な楽しみといえます。

「からすま京都ホテル」は昭和58年、「京都ホテル」創業95年の伝統をふまえて、京都のメインストリートに本格的なシティホテルとして誕生しました。地上13階・地下2階ですが、パブリックスペースは1階から4階までに集約してあるなど、利用しやすい工夫が凝らされています。
開業当時の総部屋数は258室、収容人数は490人でした。

なお、「志賀高原ホテル」は、戦前に外貨獲得の国策から生まれた国際スキーホテルで、60年余り営業した後、1999年閉鎖いたしました。ここでその足跡をたどっておきます。

志賀高原ホテル
昭和12年1月 洋室50室・和室11室
スキーヤーズベッド104台
収容人数200人
昭和20年 米軍に接収
昭和26年2月 国際観光ホテル整備法に基づき政府登録を受ける
昭和27年 接収解除
昭和35年7月 「京都ホテル」から営業権を一切委譲され、「株式会社志賀高原ホテル」として発足
昭和39年12月 東京オリンピック開催に伴い、北側に洋室30室を増築
昭和46年11月 冬季オリンピック開催に伴い、レストラン「志賀ハイツ」を併設
昭和48年12月 別館として洋室96室を増築
昭和56年12月 新館として
洋室16室・和室5室
ロビー・スキーロッカー・ダイニング他を増築

遠く連なる北アルプスの山影、風にささやく白樺の林、深い碧をたたえる丸池・琵琶池、自然の美しさと安らぎを心ゆくまで味わえる最高のリゾートホテルでした。

「京都ホテル100年ものがたり」サイト内の内容の全部または一部を無断で複製・転載することはご遠慮ください。