第五部 昭和戦後編 ~感慨無量~ 昭和21年~昭和63年

64.大衆化への道

「京都ホテル」では、昭和27年の営業再開以来、客室の改装に力をいれるとともに、昭和27年にはニューグリルやバーの開設、昭和29年はてんぷら食堂の新設、そして昭和31年には喫茶室も開いて、宿泊客だけでなく市民のみなさんにも利用していただこうと努めました。

喫茶室は河原町通りに面して、南側空き地に独立して建てられました。
それというのも、当時はまだホテルといえば外国人の宿泊やごく一部の人々の専用のように考えられていましたので、なんとか地元の方が気軽に利用できるようなホテルになりたいとの、ホテルの大衆化の試みでもありました。
これまでのようにロビーの奥深くにつくりますと、入るのにちょっと気後れするのは確かです。
この喫茶室は、道路から直接入れる便利さに加えて、冷暖房完備でもあり、地元の方にたいへん利用されました。

喫茶室。テレビはこの当時珍しかった(昭和31年)喫茶室。テレビはこの当時珍しかった(昭和31年)

また昭和32年ごろから、ホテルでの結婚式やパーティー・宴会などが増えはじめ、またデパートや有名商店などが、お得意さまを招待して特別即売会、展示会などをホテルで開くことが流行りはじめました。なんといっても、ホテルがもっている豪華な雰囲気が、庶民にとっては魅力であったといえましょう。
どのホテルも結婚式に力をいれるようになったため、各デパートとホテルを結び、結婚式場の予約をデパートでできるようにするなど、ホテルでの結婚式の大衆化が促進されました。

もっともホテルでの宿泊が大衆化するまでには、なおしばらく時間がかかりました。日本人の宿泊客といえば、まだ、会社の幹部・文化人など、エリート階層に限られるという傾向がありました。
ただ、京都市内の会社ですと、商用の接待だけでなく、社長さんが気軽に昼の食事に立ち寄ったり、家族とともに食事を楽しんだりと、よく利用される方も少なくありませんでした。とくに「京都ホテル」はロータリークラブ、ライオンズクラブなど、地元の有力者グループのサロンの役目も果たしておりましたので、自然に足が向いたともいえましょう。
あとは京都大学、京都府立医科大学などの学者・医師・文化人などの利用が中心でした。ホテルに1週間ほど泊まり込んで執筆される教授もよく見受けました。

執筆といえば、作家も取材旅行などの宿泊だけでなく、執筆のためにもよくホテルを利用されています。ホテルは静かなうえに来客や電話などの雑事に煩わされることもありませんので、執筆にはもってこいの場所のようです。

「京都ホテル」を常宿のようにされた作家としては、大仏次郎さんがおられます。戦後の作品の『帰郷』などは「京都ホテル」に長期滞在された時にまとめられたのではなかったでしょうか。毎年、数ヶ月間は「京都ホテル」に宿をとられました。
当時、毎日新聞の文芸部記者で、先生の原稿を受け取りに「京都ホテル」に日参されていたのが、後にご自身も作家になられた井上靖さんです。井上先生は昭和10年、京都大学在学中に結婚され、式は「京都ホテル」で挙げておられます。
その他、戦前では菊池寛、吉屋信子、片岡鉄兵、火野葦平、川口松太郎などのみなさん、戦後では村上元三、円地文子、司馬遼太郎、遠藤周作さんなどがご常連でした。

当時、フロントや客室でサービスを受け持った元従業員たちに、当時のお客様の思い出などを尋ねてみますと、だれもがまず一番にあげるのは、宮様方のことでした。戦前は警備も厳重でなかなか近寄りがたかったのですが、戦後は皇室の民主化もあってでしょうか、親切にしてもらったメイドさんには、気さくに声をかけられ、何度かお泊まりになられるうちに、すっかり名前まで覚えてくださって、元気ですかなど、近況を尋ねられることもあったといいます。

戦前・戦後を通じて、一番よく「京都ホテル」をご利用になられたのは高松宮さまで、ある時など、ホテルのビュッフェの料理を召し上がりたいといわれますので、地下のグリルにご案内したところ、あとでお付きの方から、そんなことをされては困るとお小言をいただいたというエピソードもあります。

とくに従業員に人気がありましたのが秩父宮妃殿下のようです。秩父宮さまは中尉ぐらいのお若いときに神戸から洋行されることになり、妃殿下ともども「京都ホテル」にお泊まりになられています。戦後は妃殿下おひとりでのお泊まりですが、親しく声をかけられますので、心やさしい方との印象が、お世話さしあげたホテル側の人たちにも強く残っているようです。

ジョン・ウェインと当時の従業員ジョン・ウェインと当時の従業員

戦後のお客様としては、歌舞伎の俳優さんたちや、歌手、映画・テレビなどの人気タレントさんが、思い出の中心になっています。
「京都ホテル」は顔見世のある南座に近い関係で、たくさんの歌舞伎役者の方がご利用になります。

映画俳優のみなさんも、京都は日本映画のハリウッドといわれますだけによく利用されました。しかも撮影の場合は長期滞在となりますので、従業員と一緒に記念写真をとるなど自然に親しくなるようでした。

また「八月十五日夜の茶屋」「黒船」などの日米合作映画の撮影では大スターが京都を訪れていますが、ジョン・ウェイン、マーロン・ブランド、グレン・フォードらが「京都ホテル」を利用しています。

音楽分野では、声楽の藤原義江さんご夫妻がよくご利用になりました。
京都管弦楽団の指揮者であった森正さんも、毎年3〜4ヶ月お泊まりでした。

「京都ホテル100年ものがたり」サイト内の内容の全部または一部を無断で複製・転載することはご遠慮ください。