第四部 昭和前期編 ~多事多端~ 昭和初年~昭和20年

49.名士来訪

内外の宿泊客には、皇族をはじめ、知名の方々も多いのですが、昭和の前期を中心に、ちょっと変わり種をご紹介してみましょう。
大正15年の10月に、ブース大将がお泊まりです。大将と言っても救世軍という平和団体の偉い方でした。救世軍は、歳末に街かどに大きな鍋を持ち出して行う風変わりな募金で知られています。京都にも小隊があって、隊長さんは曹長の位でした。駅頭には京都小隊員300人と軍楽隊が出迎えたのは当然としても、この日の歓迎は、いつもの名士の入洛とはちょっと様子が違っていました。事前に開かれた歓迎準備委員会で、今回は趣向をこらそうというもので、一般市民の他に、女学生や大学生を集めることにしました。動員されたのは平安女学院の女生徒と同志社の男女学生でした。

京都は日本のハリウッドとか、映画撮影のメッカと言われますが、映画人の往来も盛んです。
昭和6年1月に、アメリカの人気映画俳優ダグラス フェアバンクスが、監督とともに訪れました。東京からは鈴木伝明・上山草人らも同行していました。
駅に映画関係者やファンが詰めかけましたが、この日は少し変わった歓迎が用意されていました。宿舎の「京都ホテル」で歓迎晩餐舞踏会が催されていたのです。300人のファンが、ホテルの入り口にならんで、一行を拍手で出迎えます。休む暇もなく、ダグラスらもダンスに参加して歓迎に応えました。

映画人では、名優と評判のロナルド コールマンと、性格俳優で売り出したリチャード パーセルメスとが、翌7年1月にやってきました。
さらに5月には、喜劇のリチャード チャップリンが来日しました。神戸から東京に直行して京都は素通りでしたが、それでも、すばらしい人気にあやかろうと、日出新聞も歓迎の1ページ広告をつくっています。映画人と言ってもアメリカではなく、ドイツからアーノルド ファンク博士らが11年2月に入洛しました。
さらにその8月、名画「モロッコ」でおなじみのジョセフ フォン スタンバーグ監督も宿泊しています。

昭和8年に「京都ホテル」は、2人の有名人を迎えています。1人は鋭い皮肉で人気のあった劇作家・評論家バーナード ショー、もう1人は無線電信の発明でノーベル物理学賞を受けたマルコーニ侯爵です。
ショー翁は3月1日、世界一周観光団の仲間入りをして、エンプレス オブ ブリテン号で神戸に入港しました。たちまち埠頭に待ちかまえた記者団につかまり、満州問題、工場法、共産主義などで怪気炎を挙げています。
1日、2日は船中にこもり、3日、観光客と共に1等車5両をつらねた特別仕立ての列車で京都入りして「京都ホテル」に泊まりました。

朗らかに明けた春の日本−−−京都に世界の文豪バーナード ショーが
春風に美髪をなびかせながらやってきた。
三日午前十時十四分京都駅着の列車で今春初めての観光団に交じって
瀟酒たる姿を現はした。翁は直に一行と共に東本願寺を訪ね、御所を
拝観の後、京都ホテルに入って軽い昼食を喫して、午後一時半
同ホテルを出発、嵐山の勝景を訪ね二条離宮を拝観、東山巡りをする筈。

<昭和8年3月4日 「日出新聞」>

また、マルコーニご夫妻は、11月21日夜、東京から京都に入り、「京都ホテル」に宿泊しました。同氏には、日出新聞・染織日出新聞から、記念として羽織と着物が贈呈されました。
紋は無電王にちなんで電波をかたどったアンテナ線を外輪とし、富士山と桜をあしらったものでした。また胴裏は、東郷元帥書の「奮励」と日本刀・桜をデザインしました。
制作は内田商店と伊藤染工場で、伊藤工場のお嬢さん、伊藤智子さんが晴れのコンパニオン役を果たしました。

二十一日夜晴れやかに入洛した我等が無電王マルコーニ侯夫妻は、
安らかに京の夜を京都ホテルで明かしたが、明くる廿二日は早朝
起床ホテル屋上から京都市街を展望して静かな京の空気を呼吸し、
千年の事の奥床しさを賛美した。かくて午前九時半、ホテル玄関で
本紙と染織日出新聞から贈呈する内田商店制作にかかる黒紋付羽織
を伊藤工場主令嬢伊藤智子さん(十九)の手によって贈られたが、
マルコーニ侯は大喜びで智子さんの手をかりながら、早々腕を通して
カメラの前に立つなど、頗る上機嫌であった。
なほ制作者側の内田信吉氏、伊藤梅吉氏及び西川染織日出主幹ら
本社記者に叮重な感謝の辞を述べ、同十時自動車に分乗して
桃山御陵へ向かった。

<昭和8年11月22日 「日出新聞」>

スポーツでは、ホームラン王のベーブ ルースが、昭和9年11月に参りました。大変気さくな人で、「京都ホテル」の従業員の中にも、色紙やボールにサインしてもらった人が何人もいました。
この人には後日談があります。戦後、米国のプロ野球のオドール監督が、選手を引き連れて来日したときのことです。「京都ホテル」に遺したベーブ ルースのサインを見て感激のあまり、ベーブのサインに自分のサインを書き加えました。
おかげで、たいへん珍しいサインができたのでした。

「京都ホテル」に、古い宿泊者名簿があります。フロントに備え付けてあったものと思われますが、口絵写真でご覧に入れていますように、何かの都合で、2枚だけ切り取って保存していたもののようです。したがって、いつ頃のものか、はっきりしませんけれど、紙質や使用されたペンなどの感じ、そして外国人ばかりであるところなどから、まだ日本人の宿泊が少ない頃のものと想像しますと、やはり大正の終わりか昭和も初期の頃ではないかと、思われます。

ブース大将

イギリスの宗教家で貧民への伝道と救済に努め、1878年に救世軍を創立したWilliam Booth(1829~1912)の息子。父親は明治40年に来日し、1ヶ月にわたって各地で講演活動を行っている。

ダグラス フェアバンクス Douglas Fairbanks(1883~1939)

喜活劇のジャンルを開いたアメリカの映画俳優。1927年に自ら中心となって映画芸術科学アカデミーを設立し、アカデミー賞を制定した。代表的な主演作は「善良なる悪人」「快男子」「結婚狂」など。伝奇・冒険劇でも人気を集めた。

マルコーニ侯爵 Marchese Guglielmo Marconi(1874~1937)

無線電信を初めて実用化したイタリアの電気学者。1899年、大西洋を通過する無線電信の送信に成功した。1909年、ノーベル物理学賞を受賞。

ベーブ ルース Babe Ruth(1894~1948)本名は George Herman Ruth

ニューヨーク ヤンキースの黄金時代を築いたアメリカのプロ野球選手。初めは投手でのちに右翼手に転じ、不滅の本塁打王と呼ばれた。
アメリカの野球界の近代化に尽くした人物で、彼の活躍によって契約金制度や大球場が生み出されたという。

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