第三部 大正編 ~平穏無事~ 大正初年~大正15年

38.欧州戦乱

大正3年6月、オーストリアの皇太子が暗殺されました。強国の対立するヨーロッパは、たちまち戦雲に包まれます。8月には欧州から遥か離れた日本までが便乗して参戦します。日本に滞在中の英・仏・独の軍人たちは次々に帰国してゆきます。大正4年の春、観光シーズンを迎えましたが、ヨーロッパからの観光客はなく、わずかに、まだ参戦していなかったアメリカからの団体客があったに過ぎませんでした。そのアメリカも6年には参戦することになります。

●ホテルの厄年

陽春三四月の頃と云えば、何時の年にても外客の来遊するもの多く、都ホテルの如き平生なれば昨今常に百名以上の宿泊者ありて、殆んど満員の盛況を呈する筈なるに、今年は欧州大戦乱のため、僅かに米人の一部分が比律賓郡島、若しくは豪州辺に往来するの途次、一寸立ち寄る位にして、日によりては僅々十名内外の宿泊者に過ぎざることあり、其淋しさは又格別にして
・・・以下略・・・

<大正4年4月27日 「日出新聞」>

大正5年の春は、太平洋航路が安全とわかって、アメリカを中心に、100名、200名といった団体客が日本に上陸しました。
しかし、さすがに、ひところのような景気は望むべくもありませんでした。アメリカが参戦したために米国の観光客は減って、大正7年の春は、ジャワ・スマトラ・シンガポールからの観光客で、ホテルはやっと息をついた形でした。新聞には「外客を誘致せよ」として、外国人観光客の誘致は、興国致富の策としても有望であり、そのためには、ホテルの設備・夜間の娯楽などを充実せよとの意見も掲載されています。

7年は、国内でも8月には米騒動などもあって騒然としましたが、11月には第1次世界大戦もようやく終結をみました。
大正12年9月1日、関東大震災が見舞います。東京では、ちょうどその日、「帝国ホテル」がライト博士の設計による新館が完成して、落成式をあげることになっていたのですが、さすがに、建物はビクともしなかったといいます。
東京・横浜が崩壊したこともあって、外国人客が関西で滞在する日数が多少は増えたかもしれません。

京都商工会議所が、大正元年から12年までの間に、京都に出入りした外国人客の統計を発表しています。これをみても、第1次世界大戦の間は、外国人観光客がグンと落ち込んだことがわかります。この12年間で最も多かったのが大正9年、次に多かったのが大正2年ですが、これはちょうど、欧州で戦争が終わった年の翌年と始まる前の年とにあたっています。それから、最も少ない年は大正4年ですが、これはいうまでもなく、戦争が最も白熱した年でありました。

大正元年 7237人  
2年 8183人 2番目に多い年
3年 5851人  
4年 3795人 大戦始まる 最小
5年 5217人  
6年 6180人  
7年 6182人  
8年 7133人 休戦
9年 8292人 最も多い年
10年 5774人  
11年 5577人  
12年 6231人  

また注目されるのは、10年以降は、宿泊日数が平均して3日間程度に短くなったことでした。大戦までは、平均して4〜5日の宿泊でしたから、観光客数は戦前に戻りましたけれど、貿易商などの売上げは半分から三分の一になったと伝えられました。
観光収入は激減の状態で、各ホテルとも、外客誘致だけでなく、日本人の宿泊あるいは宴会などを、積極的に宣伝するようになります。

大正3年

この年の7月、第1次世界大戦(1914-18)が始まった。イギリス・フランス・ロシアの三国協商を中心とする陣営と、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟を軸とする陣営との間に宣戦布告がなされ、日本は日英同盟を理由に8月23日、参戦した。
日本海軍高官の汚職事件、いわゆるシーメンス事件が起こったのもこの年。帝国劇場では芸術座が『復活』を上演、松井須磨子のカチューシャの唄が大ヒットする。一方、京都では国鉄(JR)京都駅が改築落成。また京都自動車がタクシーを開業している。

大正5年

大正5年頃から7年頃にかけての日本といえば、第1次大戦の影響でいわゆる成金景気に酔ったものの、寺内軍閥内閣下によるシベリア出兵の決定で米価が急騰。
富山の米騒動が全国に広がるなど騒然とした空気に包まれる。京都でも大正5年に友愛会(全国的労働組合)の支部が結成され、米騒動を前後する時期から社会運動が活発に繰り広げられていくことになる。

大正12年

この年、普通選挙を求める大正デモクラシーの波は最高潮に達する。ワシントン海軍軍縮条約が実行され、平和ムードが漂うが、中国の排日運動、国内の労働運動は激化する。
成金と争議の時代である。京都では、この年、初のメーデーが行われた。カフェの出現もこの年で、三高・京大生らが往々たむろしたという。

関東大震災

大正12年9月1日午前11時58分、関東地方に大地震が発生。被害地域は東京、神奈川を中心に1府8県にわたった。死者9万人、負傷者10万人、家屋の破壊・焼失68万戸、全潰1万4千戸。

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