写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み

1901(明治34)年―1910(明治43)年

1901
(明治34)年
  • 2月6日 ロシアの皇族アレクサンダー・ウォルコンスキー親王同妃殿下、来館
  • 5月26日 山階宮菊麿王殿下、京都ホテルに来館
  • 5月 也阿弥楼、「株式会社也阿弥ホテル」として再出発(社長・大沢善助)。京都の3大ホテル時代を迎える
  • 7月29日 シャム国公使来京、本願寺差し回しの馬車にて同本山に至り両法主と面会、いとまごいの挨拶後、京都ホテルにて午餐
  • 9月2日 華頂宮博恭王殿下、来館
  • 11月21日 大浦警視総監、来館

■この年、京都の外国人観光客は約4,000名、また京都ホテルの宿泊者総数は2,198名

1902
(明治35)年
  • 1月18日 在京法学士会の第1回総会、京都ホテルにて開催
  • 3月5日 京都ホテルにおいて新旧知事送迎会を開催
  • 3月25日 第4回探西会総会、京都ホテルにて開催
  • 6月5日 京都ホテルに滞在中のアメリカ陸軍大将ウード・フチード氏、疎水を遊覧する
  • 7月7日 京都市有功賞受賞8名、午餐会を市長主催にて京都ホテルで開く
  • 7月 都ホテルの経営危機、銀行差し押さえを受ける
  • 8月13日 京都ホテルにおいて京都商業会議所の第5回博覧会委員会を開催。入洛外国人の宿泊受け入れについて議事する
  • 8月26日 小松宮殿下に随って来京の長崎式部官、来館
  • 9月8日 閑院宮戴仁親王殿下、松井家令・西沢家従を随えられて来館
  • 9月13日 清国皇族戴振殿下、来館
  • 11月14日 イタリア皇室侍従男爵アデルホート氏及び同夫人、再来京、来館

■日出新聞に「外人と京都」連載。京都3大ホテルの比較論

1903
(明治36)年
  • 1月2日 シャム国皇太子殿下、来館
  • 4月 第5回内国勧業博(大阪)、京都の各ホテルも活況
  • 5月24日 戴振殿下、随員20余名を従えて来館
  • 12月7日 インド王族マハラジャー・オブ・ガバラダー殿下、同妃殿下一行、来館
  • 12月 京都ホテルでクリスマス晩餐会開催

■4月の京都宿泊外国人は1,549名、107万円余の経済効果

1904
(明治37)年
  • 2月 日露戦争勃発で、京都観光業界は苦境
  • 5月21日 京都駅弁入札、京都ホテルに落札
  • 6月23日 京都駅構内に洋食店開業
  • 10月12日 ドイツ皇族カール・アントン・フォン・ホーヘンツォルレルン殿下、宮内省出張馬車にて来館

■也阿弥ホテルは決算報告で大幅減収報告

1905
(明治38)年
  • 4月22日 閑院宮殿下、ドイツ皇族アントン親王殿下入洛、来館
  • 10月8日 英国東洋艦隊司令長官ノーエル大将、夫人・令嬢らと来館
  • 12月10日 北里博士、京都医師会の招待で入洛、講演後有志による晩餐会を京都ホテルにて催す
  • 12月 東郷平八郎大将、京都駅上の「京都ホテル」洋食店で食事

■日露戦争の勝利に伴い、外国人観光客増加のきざし。1~3月の外国人宿泊は、1,787名に及び夏期も衰えず

1906
(明治39)年
  • 1月17日 清国出洋大臣戴振殿下一行、来館
  • 2月20日 国賓として来日されたイギリス皇族アーサ・オブ・コンノート殿下一行、来館
  • 4月18日 也阿弥ホテルから出火し、近隣6棟延焼の大火となる
  • 4月19日 イタリア皇族ウジッチ殿下一行、来館
  • 5月13日 シャム皇族一行、来館
  • 5月 京都倶楽部で也阿弥ホテルの臨時株主総会
  • 7月4日 松尾日銀総裁歓迎会、京都ホテルにて開催
  • 8月 井上万吉氏死去(61歳)。加納治五郎氏他数名の慰労会、京都ホテルにて開催
  • 9月18日 ドイツ皇族ルイス公、来館
  • 12月18日 インド王族カイクワード王、来館

京都3大ホテル時代の最後

1907
(明治40)年
  • 2月24日 イギリス公爵ブレーフヒーア氏、来館
  • 2月28日 山階宮菊麿王殿下、来館
  • 3月7日 アフガニスタン王サーダ・マホメット・オブニブカン殿下、来館
  • 3月11日 伊藤博文韓国統監、来館
  • 5月8日 救世軍ブース大将、来館
  • 7月13日 日仏協約祝賀晩餐会、京都ホテルにて開催
  • 10月3日 アメリカ陸軍卿タフト夫妻、来館
  • 12月2日 清国答礼大使・溥倫貝勒殿下、来館
  • 12月10日 韓国答礼大使・完興君李載晃氏、来館。
    伊藤博文韓国統監主催の午餐会を京都ホテルにて開催
  • 12月25日 神戸・横浜各地方からの外国人を招きクリスマス会開催
  • 12月 別館(客室数30室)を増築

■内外の貴顕紳士の宿泊相次ぐ

1908
(明治41)年
  • 1月10日 伏見宮博恭殿下、来館
  • 5月18日 自動車にて世界一周のハンセン大尉、来館
  • 8月4日 コッホ博士夫妻、北里博士と来館

■4月前後の在京都外国人観光客60余人。花見客の増加
■12月の観光外国人の状況40余名

1909
(明治42)年
  • 2月 京都ホテルで女子給仕を募集。年齢16歳~25歳
  • 3月 都ホテルと合同で琵琶湖周遊計画をたて滋賀県庁に出願
  • 9月28日 梨本宮守正王、同妃両殿下、来館
  • 12月 クリスマス晩餐会開催。旧館(客室数20室)を改築
1910
(明治43)年
  • 1月2日 アメリカ世界一周大観光団の到着(団長クラーク氏)。総660人が京都・都の両ホテルに分宿
  • 3月6日 第2回アメリカ大観光団来京。205人が京都ホテルに来館
  • 3月26日 清国載濤殿下、来館
  • 4月30日 オーストリア ハンガリー貴族ケーゼルリッヒ、プロメ両伯爵他、来館
  • 5月5日 インドのバロダ国王、妃殿下、王女殿下他、来館
  • 6月28日 インドのマルジュー国王モーレハンチ殿下、来館
  • 6月30日 アメリカ陸軍卿ジッキンソン氏、夫人、令嬢、来館

■この頃、外国人の京都観光は春先がピーク。都をどり、二条離宮、保津川下り、葵祭、祇園祭など人気

<1901-1910>

■世相

日清戦争に引き続く日露戦争を勝ち、日本の意気は大いにあがる。

条約改正も一段落、対外的な地位の向上が逆に足元を見つめる結果になったが、社会問題・労働問題のクローズアップが始まる。

一方、国策担当者の目は、朝鮮へ中国へ。

スクリーンでは、怪盗ジゴマが活躍していた時代である。

■流行語
  • アジアは一つ(岡倉天心の著書から)
  • 諸君
  • いわく「不可解」
    (藤村操の「厳頭之感」)
  • 君死にたまふことなかれ
    (与謝野晶子)
  • ジンタ
    (仁丹が楽隊付きの宣伝をしたことに由来するという)
  • オタンチン
  • デカンショ
  • ハイカラ
  • ヒステリー
  • カフェ

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