第四部 昭和前期編 ~多事多端~ 昭和初年~昭和20年

54.ホテル受難時代

第15期(昭和13年)の営業報告書には、「ホテル業の受難時代に遭遇せり」と書かれています。営業概況を見てみましょう。

第十五期営業報告書

第十五期(自昭和十三年一月一日、至同年十二月三十一日)に於ける
業務の概要を株主各位に報告する事左の如し

一、営業概況

本年度営業の概況は聖戦第二年度に終始し、収入に於いては
外人来朝者の激減による宿泊客の減少と、国内緊縮政策の
徹底による食事収入の減少を示し、一方支出に於いては諸物価
謄貴による営業費の膨張を来たし正にホテル業の受難時代に遭遇せり
斬くの如きホテル営業の非常時に際し当社は敢て所領金の値下げ
断行によって国策に順応し顧客の吸収に鋭意努力するとともに、
上下一致経費の節約を企画し為に極めて僅少なる損失にて止むる事を得たり

甲、京都ホテル

本年度総収入金三十一万六千六百十八円参銭にして、
宿泊客延数約一万四千四百名、食事客数約五万四千九百名なり
此を前年度に比し、収入に於いて金十一万六千五百円余
(二割七分減)宿泊客に於いて約一万一千七百名の減少を
示せる不拘前述の如く極度の経費軽減を計り漸く終始
償ふ事を得たり

乙、志賀高原温泉ホテル

長野県下に於ける同ホテルは開業第二年度にして而も
事変中なるに不拘漸く其の名声を高め本年度収入金
七万五百六十一円四十六銭にして宿泊客延数五千五百
三十二名なり
此を前年に比し収入に於いて約二万七千円、宿泊延数
に於て約二千名の増加を示せる結果長野県に金一万八百円
を納付し結局損失金二千二百七十円余を計上する事となりたり

然れ共此を前年度損失金二万二千八百円余に比すれば 非常なる成績の向上を示すものにして、東洋に於ける
スキーホテルの最もなるものとして次年度以降多大の
期待を有するものなり

また、「木造瓦葺き二階立ラス張塗込洋館一棟(百九十七坪八合五勺)売渡したるに付き昭和十三年十一月二十二日之が登記を完了したり」
「代表取締役井上武夫氏昭和十三年十二月十四日転住」との記載もあります。この2階建ての洋館は井上武夫が居宅としていたもので、御池通りをへだてて、ホテルの南側にありました。

井上は創業以来、ホテルの中で従業員とともに生活をしてきたのですが、ついにこのしきたりを破って、ホテルから出ました。まさに城を明け渡した感じです。

そして翌14年の年末に、代表取締役井上武夫と取締役井上勝太郎の2人は、役員を辞任して「京都ホテル」の経営から身を引きました。
ホテル受難の責任を負ったのでした。第16期の株式異動は22名で1万1928株に及んでいます。
株主名簿を見ますと、筆頭株主は「株式会社帝国ホテル取締役会長大倉喜七郎」で8916株です。それまで筆頭株主であった井上武夫はわずか120株に転落しています。
そして井上武夫以外の井上一族は株主名簿から全く名前が消えました。井上一族の全面的な撤退でした。

昭和15年の総会で取締役会長に高杉晋、常務取締役に大塚常吉、取締役に松居庄七、田中和一郎、犬丸徹三、富森長太郎、監査役に川西文夫、相談役に男爵大倉喜七郎となっています。
高杉・大塚・犬丸・富森・川西らはいずれも、「帝国ホテル」の系列の人たちでした。

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