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第三部 大正編 ~平穏無事~ 大正初年~大正15年
36.自動車の登場
大正時代を迎えて、世の中も少しずつ変わってゆきます。その一つに自動車の登場がありました。人力車や馬車から自転車、自動車へと、乗り物も変わってゆきましたが、それがちょうど、大正の初期でした。
京都駅への送迎などには、高位高官の場合には馬車が使われていますが、「京都ホテル」がいち早く馬車を買い入れて、ホテルの宿泊者の送り迎えに使ったことは、すでに紹介したとおりです。
しかし、二頭立ての馬車は、当時、京都には西本願寺にしかなかったため、特に大切なお客様を出迎える時には、京都府庁が大谷家に馭者つきで馬車を借りたいと、借用書を入れています。
一般市民の乗り物は、人力車でした。東京では、明治4年に営業を開始したのが最初といわれています。京都でも明治5年に、「天長節ヲ祝シ奉リ、八坂新地・先斗町等ノ歌妓、人力車百五十両余リヲ連ネテ行列シタルタメ、往来ヲ止ムルニ及ベリ」という記事がありますので、かなり普及が早かったといえましょう。
明治42年には6955台にのぼったといいます。ニンベンにクルマと書く「俥」という文字もつくられました。
ホテルにとっては、人力車はなくてはならないものでした。「京都ホテル」でも、門のすぐ左が、ホテルお抱えの車夫の溜場で、待たずに乗れるようになっていました。
「也阿弥楼」や「都ホテル」は、小高い場所に建っていたため、坂を登らなければならず、車夫泣かせであったようです。そのため、中には客に割り増しを請求する車夫もあって、しばしば揉めました。
また、町から外国人の宿泊客を案内してきたり、料亭や貿易商へ案内した時などは、ガイドの手伝いだからと、ホテルや店からお手当てを貰う商習慣もあって、これまた、いざこざの元でした。
「都ホテル」は、これを悪弊として認めなかったために、車夫がホテルに怒鳴りこむ風景なども、しばしば見られたようです。「京都ホテル」の井上喜太郎は、そんな時には10銭ずつ手渡したので、あまりトラブルが起きなかったといいます。
大正期に入ると人力車は減りはじめ、昭和3年では269台になってしまいます。とってかわったのは、いうまでもなく自動車です。自動車は、明治36年に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会に初めて展示されました。京都でも早速2台を輸入して、1台は6人乗り、もう一台は2人乗りに改造して、乗り合いバスの営業をはじめた人がいます。
七条停車場~堀川中立売~祇園石段下を1区4銭で走りましたので、採算がとれなかった上、客席がむきだしで、冬は寒くて乗り手がなかったので、わずか数ヶ月で廃業しています。
京都では大正元年の10月にアメリカの大使が、それぞれ自動車で京都に乗り込んでいますが、これは外国公館の公用車にあたります。オランダ公使の場合は、奈良へ行こうとしてましたところ、途中の道路が悪くて運転が出来ず、木津から引き返しています。
ようやく大正3年正月になって、メキシコ大使の京都観光に自動車が使われたという記事が出てきます。車の所有者については書いていませんが、これはどうやら、京都側で自動車を用意した最初のケースのようです。その年の7月大隈重信首相や犬養毅が京都遊説に乗り込んできました時には、大隈が自動車6台をつらねたとありますし、犬養も2台を使っています。
以後、貴賓の送迎は自動車が普通になりました。
ただ、大正4年の御大礼では、式場の出入りに、自動車と馬車が使われました。
「京都ホテル」が、いち速く馬車による送り迎えをしましたように、自動車の購入も早かったようです。大正5年1月、李王世子殿下が「京都ホテル」にご宿泊の際と、6月のインドの詩人タゴール翁の出迎えの時には、「京都ホテル」差し回しの自動車でと、記事に明記されています。大正7年でも、京都の自動車はまだ66台にすぎませんでした。それが、9年になって180台そして13年には536台と、どんどん増えています。
明治2年に東京で和泉要助ほか3名が西洋馬車にヒントを得て考案、翌3年から営業を開始した。改良を加えられて外国にも輸出され、「リキシャ」として世界に知られる。大正末期には自転車式の”輪タク”が出現。
京都でも早速2台を輸入日本における最初の自動車は明治33年、皇太子成婚記念としてサンフランシスコ日本人会より贈られたもの。明治36年、西陣の織物商福井らが二井商会をつくり蒸気自動車(6馬力)を購入。6人乗りに改造して乗合自動車を開業した。
大正元年この年、京都では第2琵琶湖疎水が竣工した。疏水を使っての貨物輸送が減少し、水力発電が主目的になったため計画されたもので、これで出力6,400キロワットと、従来の約3倍の発電が可能になった。
また市営の電車が開業(烏丸、丸太町、千本大宮、四条の四線)したほか、京津電車は三条〜大津札の辻間を開通させている。四条高倉には大丸呉服店が百貨店として進出し、話題を呼んだ。
明治23年の日韓併合の際、韓国皇室優待のため韓国皇帝を李王とし、李王家が設立された。
タゴール翁Rabindranath Tagore(1861〜1941)
インドの詩人、思想家。ベンガル固有の宗教・文学に精通し、詩・劇・小説に多数の作品がある。1913年、ノーベル賞受賞。
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