第一部 前史編 ~波瀾万丈~ 明治2年~明治27年

4.「中村屋」のメニュー

博覧会の会期中、外国人の宿泊については、公使以下の貴族の宿は、知恩院の塔頭5ケ寺をあて、一般外国人には円山・下河原の日本旅館19軒を指定しました。食事はすべて、「中村屋」がつくって、各宿に届けたといいます。宿泊料と食事のメニューが、博覧会の案内書にのっています。

「宿泊ハ上中下ノ三等アリ、尤も客ト宿主ト約シテ宿シタマヘ、元来不慣ノ宿主故ニ不適ヲ恐ル。然レドモ諸事客ニ問イ正直ニスベシ、宿主ニ示シ置キタレドモ雑踏ナレバ若干不行届ノコトアラバ恕シ玉ヘ」

との説明を和文と英文で載せました。さらにつぎのような宿主口上書が続いています。

宿主口上書

此度京都博覧会へ外国より御来臨の御方は私方にて御宿引受可仕候、御賄は一日御一人前上中下値段左の通りに御座候。

上賄値段金四円中同金参円下同金弐円。

右の通に御座候へ共日々献立の儀は組替可申候、
其他は御好に随ひ可成丈丁寧に御引受可仕候間賑々敷御入来奉希候。

<朝>
コーヒ
棒砂糖
パン
<昼>
パン
サカナ
鶏卵
羊のビーフステーキ
兎のシチェーソ
唐芋
精物二色
コーヒ
棒砂糖
<夕>
パン
ソップ
サカナ
鶏のチョブ
魚のサラッド
豚のローストビーフミー
精物二色
菓子三色
果物二色
コーヒ
棒砂糖

右の通に御座候尤も御酒の儀は別段に代料御払可被下候酒品付左の通
上中のシャンペエーン 上中ブドウ酒 上中フランテン 上中リキュール
上中ビール ジェリー 白ブドー酒 チェリージン コンミル

以上 宿主 辻重三郎 敬白

辻なにがしは、「中村屋」のご主人です。当時、西洋料理材料などは、京都では手に入りませんでしたが、明治3年から、アメリカ太平洋郵船会社の上海航路が、横浜と神戸に寄港しましたので、サンフランシスコから直輸入の食料品や酒類を、神戸まで買い出しにいったのでした。

案内パンフレットの英文は、第1回の時にはまだ京都にはローマ字活字がなく、木版で美濃半紙に摺られています。英語の案内書が初めてつくられたのは、翌6年の第2回博覧会からで、これの組版と校正を担当したのは、京都の同志社英学校を開いた新島襄の夫人八重子さんでした。

金四円

この頃の4円は、大工手間賃の10日分。ちなみに、当時、米10キロ36銭、また明治7年の巡査の初任給(月俸)が4円だったという。

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