100年ものがたり

写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み

1941(昭和16)年―1950(昭和25)年


1941
(昭和16)年
● 2月 7日 皇紀2,600年の式典が行われ、宮内省陛下供奉員、来館。満州国皇帝陛下の随員および接伴員、来館
● 7月 資金凍結令により敵性国家群との相互間の経済断交
● 12月 8日 アメリカ・イギリスに宣戦布告

■旅行制限、ガソリン制限

 

<1941-1950>

■世相

これほど、激しい変革があった10年は近代日本では他にないのではいか。空襲警報におびえた空、艦砲射撃を恐れた海からやってきたアメリカ人は、鬼畜ではなくよく笑う人間だった。

昨日まで「皇国万歳」を唱えていた大人が今日は「アメリカ万歳」を唱える。子どもたちは黒々とスミを塗られた教科書を手にとまどい、大人達は一層ひどくなった食糧事情に負けまいと必死だった。

その中で「フジヤマのトビウオ」古橋広之進の活躍や湯川博士のノーベル賞受賞は、一服の清涼剤だった



■流行語

・敵性○○
・欲しがりません勝つまでは
・産めよふやせよ
・買い出し
・撃ちてし止まむ
・転進
・学童疎開 勤労動員 学徒動員
・ピカドン
・堪えがたきを堪え
・一億総懺悔
・進駐軍
・パンパン
・アプレ
・カストリ・バクダン
・こんな女に誰がした
・ニューフェイス
・ヤミ屋
・土曜夫人
・男女共学
・斜陽族
・サマータイム
・老いらくの恋
(川田順の遺書から)
・ノルマ
・竹馬経済
(GHQ経済顧問ドッジ氏の発言)
・つまみ食い
・オー、ミステイク
・鉄のカーテン
・BG(今のOL)
・貧乏人は麦を食え
(池田首相の失言)


1942
(昭和17)年

● 5月 国際観光局を通じ「上海キャセイホテル」管理を委任され、下旬、常務取締役大塚常吉が管理人として現地に出発、6月下旬に副支配人・熊澤正一と接客 係・栗原益夫、11月には食堂係・横井信雄、料理係主任・清田戛蔵、料理係・園田太四郎が現地へ赴任

■皇族殿下の用命を多数賜る
■昭和天皇供奉員諸官の宿泊の下命あり


1943
(昭和18)年

■全国のホテルにランク付がなされ、京都ホテルは1級となる(志賀高原温泉ホテル2級・京都ステーションホテル3級)

1944
(昭和19)年

● 1 月2日 賀陽宮恒憲王・同妃両殿下、同宣憲王殿、来館

■食糧確保のためホテルマンの苦闘はなはだしい


1945
(昭和20)年

● 5月 志賀高原温泉ホテル、外務省指定宿舎として借り上げられる
● 8月15日 終戦。アメリカ第6軍、京都進駐
● 9月26日 京都ホテルは進駐軍宿舎として接収される
●12月10日 志賀高原温泉ホテルが進駐軍宿舎として接収される

■昭和27年の接収解除まで進駐軍宿舎に


1946
(昭和21)年
1947
(昭和22)年
1948
(昭和23)年
1949
(昭和24)年
1950
(昭和25)年





 

ホテル接収

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