100年ものがたり

第五部 昭和戦後編

61.ホテル再開

昭和27年、京都のホテルがつぎつぎに接収解除となりました。まず「都ホテル」が3月末、2ヶ月遅れて「京都ステーションホテル」、そして「京都ホテル」がしんがりの8月1日でしたが「京都ホテル」は手回しよく、19日には早くも民間ホテルとしてオープンしています。
業務再開の際の「京都ホテル」の役員はつぎのとおりでした。

取締役会長 高杉  晋
代表取締役会長 三井  武
常務取締役 熊沢 正一
取締役 久富慶太郎
取締役 武沢柳之助
常任監査役 相原 和幸

会長の高杉晋は、明治元年の生まれで、同30年に日本麦酒株式会社に入社、45年日本麦酒の取締役営業部長となっています。昭和4年「帝国ホテル」の取締役に就任、同15年から「京都ホテル」会長を務めています。

社長の三井武は明治32年生まれ。大正12年に「帝国ホテル」入社、ただちに欧米に3ヶ年留学した生粋のホテルマンです。昭和15年には「帝国ホテル」副支配人となっています。同17年「京都ホテル」に転じて常務取締役に就きました。

常務の熊沢正一は明治38年生まれ。「京都ホテル」を創業した井上喜太郎の甥にあたり、ただ1人、井上家にゆかりの人でした。戦時中は上海の「キャセイホテル」に転出し、戦後も「帝国ホテル」系のホテルで支配人を務め「京都ホテル」を離れていましたが、21年に監査役として復帰しました。ちょうど、社長の三井が応召中で不在のため、社長代行として、米軍接収中の同ホテルの経営にあたっています。誠実な人柄から、駐留軍の将校間にも評判がよく、戦後の日米親善に大きな功績を果たしました。また民営に戻ってからも、支配人として、いつも玄関に立って、従業員のサービスぶりに目を光らせていました。

取締役の久富慶太郎は「志賀高原温泉ホテル」の支配人です。同じく取締役の武沢柳之助は米軍の要請で「帝国ホテル」から移籍してきたシェフです。

監査役の相原和幸は「京都ホテル」の副支配人でした。翌28年の株主総会で監査役1名の増員を決め、犬丸一郎を選任しております。犬丸は「帝国ホテル」からの派遣でした。このように、まったく「帝国ホテル」一色の感がありました。

 

営業を再開したものの、7年間にも及ぶ接収中のブランクは大きいようでした。外国からの観光客はまだ少なく、また日本人は寄り付きません。かといって手持ちの資金があるわけでもなく、さしずめ給料の支払いのためにも、収入の道を考えねばなりませんでした。苦肉の策として、接収中にあちこち改造などされていたのを幸いに、建造物および備品の損害補償を特別調達庁に申し立てて、急場をしのぐなどの苦労もあったようです。

しかし昭和27年末の決算では、半年たらずの期間にもかかわらず7万5,000円の純益を計上しています。収入の内訳をみますと、室料が1227万円、料理収入が1157万円、接収賃貸料471万円、その他の収入471万円となっています。

 


昭和27年 戦後の混乱がようやく落ち着きをみせてきたこの頃、主な社会的出来事を拾ってみると




26年 日米安全保障条約調印、第1回アジア陸上競技会参加、国内民間航空再開(東京〜 大阪)、京都ではラジオ京都(現・KBS京都)開局
27年 第15回オリンピック(ヘルシンキ)に戦後初参加、米水爆実験成功、京都では国鉄京都駅の新駅舎完成
28年 吉田内閣衆議院解散、NHK東京テレビおよび民放(日本テレビ)本放送開始、京都では国鉄・京都〜博多間に特急運転開始

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