

- 56.給与とチップ
- 敗戦のどさくさで、古い書類や資料などは、軍の命令と言うことで、ほとんど焼き尽くされました。そのため、戦前から戦争中にかけての事情はよくわからないことがあります。そこで当時の関係者から話を聞かせて貰いま...
- 57.ホテル接収
- 昭和20年8月30日、マッカーサー元帥が厚木工場に着陸、ただちに横浜のホテル・ニューグランドに入りました。9月20日、降伏文書が調印され、日本は連合軍の占領下に置かれました。戦時中、軍の徴用や、戦災な...
- 58.接収その後
- 進駐軍の接収を受けていた間の「京都ホテル」について、関係者に聞いてみましょう。まず、支配人であった若山麓からの聞き書きです。 私は大東亜戦争中、上海の「シアンホテル」で代表取締役をしてい...
- 59.料理長の思い出
- 「京都ホテル」が接収を受けていた当時の料理長は武沢柳之助でした。武沢は、終戦時、「帝国ホテル」からマッカーサー元帥宿舎に派遣されて、日本人コックの総責任者となっていましたが、「帝国ホテル」の推薦で「京...
- 60.バーテンダーの思い出
- 戦前と戦後を通じて、「京都ホテル」には、名バーテンダーが相次ぎました。とくに戦後は、東京その他からも、「京都ホテル」のバー部門の見学にきたほどで、その伝統はいまにも伝わっています。その思い出を、大正時...
- 61.ホテル再開
- 昭和27年、京都のホテルがつぎつぎに接収解除となりました。まず「都ホテル」が3月末、2ヶ月遅れて「京都ステーションホテル」、そして「京都ホテル」がしんがりの8月1日でしたが「京都ホテル」は手回しよく、...
- 62.設備の改善
- 接収解除のころの京都のホテル事情をみておきましょう。米軍の接収をうけた3つの民間ホテルに、バイヤー専用の国営「ホテルラクヨウ」をいれて4社、収容可能な人数は500人にすぎません。このうち「ホテルラク...
- 63.国際文化観光都市
- 京都は幸いに戦火を免れて、社寺をはじめ多くの文化財が戦災から守られました。そして、洗練された伝統文化は、京都市民の日常生活の中に溶け込んで、根強く生き続けています。おかげで、京都は日本のふるさととして...
- 64.大衆化への道
- 「京都ホテル」では、昭和27年の営業再開以来、客室の改装に力をいれるとともに、昭和27年にはニューグリルやバーの開設、昭和29年はてんぷら食堂の新設、そして昭和31年には喫茶室も開いて、宿泊客だけで...
- 65.増改築競争
- 昭和39年に、東京でオリンピックが開催されることになりました。当然、日本を訪れた観光客は、そのほとんどが京都に来てくれることでしょう。各ホテルは一斉に増改築に踏み切りました。 改修前の...
- 66.「京都ホテル」グループ
- 業界の競争が激しくなれば、それだけ多角経営をはかることになりましょう。 現在「京都ホテル」は「粟田山荘」 「からすま京都ホテル」 「たかつき京都ホテル」 「いばらき京都ホテル」でグループをつくってい...
- 67.グルメ宅配
- 「京都ホテル」はみなさんに親しまれるホテルでありたいと願っています。そのために、ホテル自体の機能を充実してみなさまのご利用をお待ちするのは当然のことですが、より積極的に「京都ホテル」の自慢の味を披露し...
- 68.ベルボーイひと筋54年
- 京都新聞に、大きな写真とともに 《ベルボーイひと筋54年》 《京都ホテルの脇さん…きょう退職》 《国内外に多数のファン》 という見出しの記事が載りました。 「京都ホテル」の玄関を預...
- 69.100年を祝う
- 昭和63年、「京都ホテル」は創業100周年を迎えました。 それより5年前、昭和58年は創業95周年であり「からすま京都ホテル」が誕生した年でもありますが、いろいろ趣向を凝らして記念のサービスにつと...


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