100年ものがたり

第三部 大正編

42.結婚披露宴

京都市が編纂した「京都の歴史」によりまと、大正の新しい風俗として、神前結婚の流行を挙げています。京都では大正10年前後から。神前結婚そのものは、明治30年に、東京の日比谷大神宮に始まったとされています。京都で一番多かった平安神宮の挙式を年次別に見ますと、年ごとに増えています。

大正7年  91件
8年   141件
9年   195件
10年  214件
11年  248件

結婚式のしきたりは、地域や家によって、かなり違っていました。ところによっては、披露宴が三日三晩も続く地方もあるほどで、たいへん複雑な儀式と、莫大な費用とを伴いました。
それに比べますと、神前結婚ならば、比較的安い費用で短時間で済みましたので、都会を中心にだんだんと普及してゆきます。それでも、平安神宮では、35円から20円、八坂神社では50円から15円で、後には70円というデラックス版もう生まれましたが、これは式だけで、披露宴は別です。一般には、平安神宮や八坂さんで式を挙げるのは、かなり格式の高い家と考えられていました。

まして、式の後の披露宴をホテルで行うのは、まさにエリート層と云えなくもありませんでした。
大正 14年の日出新聞に、大丸呉服店の社長の結婚写真が載りましたが、平安神宮で挙式、続いての披露宴には500名が「京都ホテル」に招待されています。おそらく、ホテルでの披露宴のはしりではなかったかと思われます。

 

下村正太郎氏の結婚式

大丸呉服社長下村正太郎氏と京都高等工芸学校長鶴巻鶴一博士の長女千代子さんとの結婚は、高等工芸の教授萩原清彦博士並びに元三高校長折田彦市氏の令息有倫氏夫妻の媒酌によって、十六日午後一時廿分から平安神宮の神前で挙式し、同三時から京都ホテルで、市内の名流官民代表五百余名を請待し披露宴を催した。萩原博士は媒酌人として新郎新婦を紹介し、池田知事は来賓を代表して、祝辞を述ぶる所あり、来賓一同には記念品を頒った。

(大正14年12月17日「日出新聞」)

ホテルでの披露宴がよく利用されるようになりますと、いっそのこと、ホテルの中に結婚式場を設けて、結婚式と披露宴とをパックにしようという構想が生まれるのも時間の問題でした。

井上武夫は、大正15年に「京都ホテル」の大改築を発表しましたが、その設計図には当然、結婚式場が入ってきました。新聞は、次のように伝えています。

 

京都ホテルの偉観

・・・省略・・・
祭壇つきの婚礼場を設け、新夫婦が裸でやってくると、すぐ風呂へ入れて、髪も結ひ化粧もさせ、祭壇に向かって高天原でもアーメンでも及至は南無阿弥陀仏でも、望みに応じられる設備をしておいて、すぐ披露会から其のままダブルベッドにお泊まりなさいといふところまで徹底させる。
・・・以下略・・・

(大正15年4月2日「日出新聞」)

新館の完成は昭和3年に入ってからのことです。他の都市の場合を見ますと、昭和10年に新築された「新大阪ホテル」や「名古屋観光ホテル」などでは結婚式場が組み込まれています。

現在のように、結婚式がホテルの貴重なドル箱になりましたのは、もちろん戦後の世相ですが、「京都ホテル」がその先駆けをしています。井上武夫の経営感覚がすぐれていたことを示します。

 


35円から20円

この頃、東京の1戸建て(長屋)の家賃が1ヶ月10円。小学校教員の初任給が40〜55円。

 

大正14年

普通選挙法が成立し大正デモクラシーは一つの成果を手にすることに。その一方、治安維持法もこの年成立、「暗い昭和」の足音が聞こえ出す。新しい都会風俗はデパートメントストアで、モダン生活にあこがれるサラリーマンの人気を集める。ラジオ放送が始まり、京都では、淀競馬場が完成する。

 

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