100年ものがたり

第二部 明治編

23.井上万吉・喜太郎

井上万吉と喜太郎の兄弟が「也阿弥楼」と「京都ホテル」と、京都の二大ホテルを独占して経営する結果になりました。もっとも明治28年に京都市が編纂した「京華要誌」では、旅館業名簿の筆頭に、西洋向旅館として「也阿弥楼」と「京都ホテル」を並べていますが、「也阿弥楼」の営業者を井上喜太郎としているだ けではなく、「京都ホテル」の営業者の欄には「井上喜太郎支店」とあって、万吉の名が見えません。また、新聞でも、前記の「京都ホテルの開業式」の記事のように、「京都ホテルは円山也阿弥楼主井上喜太郎が買得し・・・」とも書かれています。あるいは、兄万吉は、第一線から退いていたのかも知れません。

井上兄弟は長崎ので出で、長男が万吉で天保13年(1835年)の生まれです。中に女子2人をはさんで、喜太郎が次男で末弟でした。嘉永4年(1851年)に生まれましてので、万吉とは17歳の開きがありました。したがって、喜太郎が独立して「京都ホテル」の経営をまかされた時は33歳の血気盛んな頃、万吉は50歳で、そろそろ隠居を考え始める頃と言えます。

日で新聞に載っていた喜太郎の人物紹介には「長崎に生まれて横浜や神戸に転々とし、十二、三歳の時分から外人去来の間に揉みあげられ」と書かれていますので、始終、兄の事業を手伝ってきたことがわかります。

ついでに、『京華要誌』の料理店の名簿をのぞいてみます。「宴会和洋・料理旅館」としては、「中村楼」(八坂神社前)と「共楽館」(河原町四条)があるだけです。ほかに宴会席の名簿があって、ここに「吉水園」(三条広道)の名がみえます。これが後に「都ホテル」となります。

なお、円山公園の記述の中で「也阿弥及び左阿弥」として「共に旧六坊の中にして、現今は改造して、右は西洋料理店、左は日本料理店となり、都人置酒大会の席に供し、また貴賓外客の旅館に充つ。各楼上、眺望絶佳にして、欄に憑り遠望すれば、洛下山川形勝より城中烟繁盛の光景、悉く双眸の中に攅り、壮観いはん方なし」とあります。

 

井上兄弟が京のホテル業に君臨したころ、京都にはもう一つ、兄弟で実業界に君臨していた組みがありました。タバコの製造販売で成功した村井吉兵衛兄弟です。

村井兄弟商会を設立して明治23年、わが国ではじめて洋風両切りタバコ「サンライス」を売り出し、続いて「ヒーロー」「ハージン」などを発 売しました。
東京の天狗タバコ岩谷商会と激烈な販売合戦を展開し、巨富を築きました。
37年に専売法が施行されてからは、村井銀行を興すなど、一般実業界に転じています。

 


村井吉兵衛兄弟

村井吉兵衛ら村井兄弟商会は馬町に工場を建て、日本最初の両切り紙巻きたばこ「サンライズ」や「ヒーロー」(同27年)を販売、明治の”たばこ王”と呼ばれた。円山公園にある長楽館は村井の私設迎賓館で現在は喫茶店兼ホテルになっている。

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