100年ものがたり

第一部 前史編

 20.三井との紛争

「常盤ホテル」の経営難が報ぜられたのは、前田又吉が死去する3ヶ月前の明治25年10月でした。同ホテルは、又吉の娘ハナと入り婿の常蔵が経営にあたりました。債権者の三井銀行は、強硬手段を避けて、償却期限を26年の夏まで延期しましたが、その後も「常盤ホテル」の経営は好転せず、借金は1年前の4万5000円から5万3500円に膨れ上がり、利息を加えると6万2000円に達しました。

三井側が持て余しぎみになっているのを見越して、「也阿弥楼」が、「常盤ホテル」の買収に食指を動かしました。三井銀行に対して、5万3500円で「常盤ホテル」の譲渡方を申し入れたのでした。三井側は前田家に、「弥阿弥楼」と同額を出して経営をつづけるか、或は、この際、経営権を手放すならば4000円の涙金を交付して債権は反古にするとの条件を呈示しています。

しかし前田側は資金の捻出ができず、償却延期を希望するばかりであったようです。明治27年2月、前田側が、家屋売却の委任状取り戻しと、借金償却の2年間延期を求めて京都地裁に提訴したため、三井側が3月に入ると「常盤ホテル」の財産差し押さえで対抗して、一挙に正面衝突となりました。



ところで、「也阿弥楼」の側には、京都の貿易商たちが1枚かんでいることがわかってきました。「也阿弥楼」と一部の貿易商との間で、「也阿弥楼」を資本金10万円の株式組織とし、「常盤ホテル」を買い入れて支店にするという計画ができていました。これがガイド業者を通じて横浜の旅宿業者の知るところとなって、騒ぎが大きくなりました。

「也阿弥楼」が「常盤ホテル」を買収することになれば、京都のホテルは「也阿弥楼」に独占され、他の地区のホテルにも影響が及ぶとして、買収計画ぶち壊しに躍起となります。

まず、京阪神の業者にも呼び掛け、三井銀行に「常盤ホテル」の譲渡を求めますが、三井が、すでに先約があるとして応じないため、ホテル業者が三井銀 行に契約書交付請求の訴訟を起こすなど、泥仕合の様相が出てきました。



一方、「常盤」側にも、援軍が現れました。やはり、「也阿弥楼」の独占を好まない「帝国ホテル」の横山孫一郎が、京都の有力者、田中源太郎・浜田光哲らと協議して、借金を肩代わりし「常盤」を株式組織とし、「京都ホテル」として経営する案を持ちかけています。

もちろん、先手を打った「也阿弥楼」も負けていません。
三つどもえの訴訟合戦になってしまいました。

この年の8月、ようやく前田家と三井銀行の間に示談が成立して、「也阿弥楼」が前田家の負債5万3500円を肩代わりして、経営権を獲得しました。前田家には、「常盤別荘」と7000円を無利子無抵当無期限で貸し付けるという条件でした。

「常盤ホテル」のホテル業務に必要な物品はすべて、「也阿弥楼」に引き渡され、「常盤ホテル」はやがて、「也阿弥楼」の手によって「京都ホテル」に衣替えして営業が引き継がれることになります。また他府県の業者から、新しい「京都ホテル」を株式組織にするようにとの呼び掛けが行われていますが、「也阿弥楼」側は、最後まで譲りませんでした。

 


明治26年

前年からの第4議会が紛争し、政府は苦境に陥る。京都では、平安神宮大極殿の地鎮祭が、この年なされる。

 

4万5000円

この頃、総理大臣の給与が年額1万円前後。 (現在は月額155万円として、1860万円)

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