100年ものがたり

第一部 前史編

19.『前田又吉銅像記』

前田又吉の死後、生前に親交のあった北風正造のほか、神戸の人たちが、伊藤博文その他の知友に寄付を求めて、銅像をつくりました。銅像自体は、残念ながら戦時中に供出されて、今は伊藤博文の銘文を彫り込んだ石碑だけしか残っておりません。

まず寄付簿の見返しに書かれた趣意書を見てみます。

前田又吉銅像建設寄付簿に書かれた趣意書

神戸ニ前田又吉ナル者アリ。快男子ナリ。開湊ニ先チテ安政四年、巳ニ此地ニ来タリ。
旅店ヲ創メ旗亭ヲ建テ、慶応開港ニ際シテハ、早ク外商ト交渉ヲ為ス。眼識巳ニ尋常ニ異ルモノアリ。諏訪山ノ鉱泉ヲ発見シ、明治六年之ヲ招キ浴槽ヲ設ケ酒桜ヲ建ツ。

諏訪山ノ今日アルモノ、其初メ又吉ノ力ヲ俟ツモノ多シトス。凡ソ又吉、神戸創開ノ初メヨリ始終神戸ノ山川ト相親ミ、拮据奔走、老ノ致ルヲ知ラサルモノヽ如ク、常ニ朝野知名ノ士ノ間ニ入リ其愛スル所ト為ル。

余等亦夙ニ又吉ヲ知リ、其奇節ヲ好ミ、居常相語ル事多シ。頃日、又吉ト旧知アルノ士相胥テ、又吉ノ為ニ銅製ノ肖像ヲ作ラントスルノ挙アリ。

今偶マ諏訪山ニ遊フ。山海ノ風色旧ニ依リ、鉱泉ノ噴涌前ニ異ラサルモ、其人既ニ亡シ。端ナク往時ヲ追懐シテ、感慨転々多シ。乃チ敢テ書ス。

 

寄付者の名簿には、伊藤博文、西郷従道、陸奥定光、渋沢栄一、牧野伸顕、大倉喜八郎、岩崎弥之助、大隈重信、大岩巌、松方正義など、一流の政治家や財界の大物が名をつらねています。

 

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寄付者名簿
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又吉の銅像図

銅像の写真はありませんが、趣意書の見開き扉につけられた建設予想図によって、、座像であったことがわかります。伊藤博文の撰文はつぎのとおりです。漢文ですが、現代訳を示します。

 

『前田又吉銅像記』

前田又吉の銅像が成った。又吉の遺族が来ていうには、

「又吉は、かつて伊藤公の知遇を得ました。公が京都や兵庫に来られた際には、いつも又吉の家に泊まられました。又吉の事績については、公はよくご存じですから、どうか、詩文にして、後世に遺していただきたいのです」と。
それで、又吉の歩んだ道をふりかえって見ることにした。

私が又吉を知ってから、三十年以上にもなる。又吉は市井にあっても、たいへんよく世の中の動きをさとっていた。それ故、往々、人の意表をつくような事業を始めた。たとえば、鉱泉を開いたり。公園を造ったり、会館を設けたり、貧者を救済したりである。どれも世の中に役立つことばかりだ。これは後世に伝え遺すべきことだと思い、つぎのような詩をつくった。

神戸之郷 四時清和 海洋々兮 山峩々兮
又吉開荒 泉出山阿 煙供浴場 能痊沈痾
徳長誉長 千載不磨

明治二十六年十月 伯爵 伊藤博文 撰印

『銅像の碑』も、『又吉泉記』の石碑とともに、京都ホテルに引き取られました。


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