100年ものがたり

第一部 前史編

12.ニコライ皇太子

「常盤ホテル」は幸運にも、開業早々に、ロシア皇太子ニコライ殿下という最高のお客様をお迎えしました。明治24年5月のことです。
それが、思いがけない大津事件に発展して、「常盤ホテル」の名は内外に知れわたるようになりますが、短い「常盤ホテル」の歴史にとっては最大のハイライトでもありました。

ロシア皇帝アレクサンドル3世は、皇太子ニコライ・アレクサンドロウィッチ殿下に極東巡遊を命じました。当時ロシアは総力を上げてシベリア鉄道を建 設中でしたが、そのウスリー地区起工式に皇太子を臨席させるためです。ニコライ皇太子は旗艦アゾバ号に座乗、軍艦6隻を引き連れ、1890年(明治 23年)11月4日、本国を出発しました。途中、ギリシャからは、従弟のジョージ親王も加わりました。

各地をのんびり見物しながらの東洋漫遊で、半年がかりで最後の訪問国である日本に着きました。威風堂々、ロシア艦隊が長崎に入港したのが4月27 日、長崎市民の盛大な歓迎の公式行事もさることながら、ニコライ皇太子とジョージ親王は、おしのびで上陸して、人力車に乗ったり、買い物をしたり、果てはイレズミ師を軍艦に呼び寄せ、殿下も親王も、腕にイレズミをしたりと、若さいっぱいに旅を楽しまれていました。

鹿児島を経て神戸には5月5日に到着、京都に入られたのは、9日の夕刻です。

京都での宿舎は、早くから、河原町二条下ルの「常盤ホテル」と決められていました。そのころ、「常盤ホテル」は、敷地の中央に、3階建ての洋館を建 設中でしたが、2階までは出来上がったものの、最上階は完成せぬまま、皇太子を迎えています。前田又吉は、その2階の鴨川べりの2部屋を、皇太子と親王のお部屋に当てるべく、室内の装飾に励みました。

 

<日出新聞> 明治24年

●御旅館の装飾 4月22日
露国皇太子殿下の御旅館なる常盤「ホテル」は来る二十五日を以て装飾向き等全く手放れと為す筈にて、目下取り急ぎ準備中の由なるが、窓掛け、テーブル掛け等織物に属するものは飯田新七、西村総左衛門両氏に於いて引受け、陶磁器・漆器等器具類などは並川靖之、紹美栄助、錦光山宗兵衛の三氏之れを引受け専ら我が国美術品のみを陳列する筈にて、飾付万端は山中吉郎兵衛、林新介の両氏が担当する趣き。

●御旅館の常盤「ホテル」 5月10日
同家の門前には一代緑門を造り旭日章と露国旗章を花物にて造り、新築館には三国旗章の提灯、南北館二階及び 庭中には多数の球燈を釣し、門前及び玄関等には幕を張渡し、正面目付には桧垣の燈篭を据つけ、新館北手には牡丹の花壇を造りて数十株を植付け、裏手の方には楼上よりの眺望に供するため高瀬川を引き入れて泉水とし大小数百尾の鯉を養なひ、アーク燈、電気燈数基を点ずるべく装置せり。 … 中略 …

新館の玄関には大花瓶に時候の花卉を挿し、廊下には毛織物を敷きつめ、尚中道へは白の綾織物を敷たるは清潔なり。御座の間は東南に向たる二階の一室にて、希臘皇子の東北の一室と相対し、ストーブ置きは蝋石細工にして「ホテル」主人が尤も注意して巨額の金員を投じたるのなり。希臘皇子の室も相同じ。 装飾品は銅の置物類一、二と蒔絵の棚花瓶などにて、多きに過ぎず寡なきにあらず、屏風、椅子、卓机等総て室内の繁雑ならざるは、大きに其体裁を調のへたり。

窓掛けは総て同色同品を用ゆべしとの事にて、是れには「ホテル」主人も多きに力を尽し、総て茶無地唐草模様の段子地なるを用ひたる沈着なる色合にて、尤も、美はし。
其次南面の室は御寝所にして之に対する北面は希臘皇子の御寝所となし、寝具などは殊に注意して清潔を旨とし、卓子、椅子、屏風、置物、飾り棚等の設けあり。其品物等を一々記載するも煩雑に過ぐれば省きて、之につヾける各室は随行諸官の応接処及び寝室に充て、尚足らざるを以て従前の南方西洋館を以て是に充 てたり。 … 中略 …

今東方の欄干によりて見渡せば、東山の新樹鬱々蒼々として花頂の茂林豊かに遠来の貴賓を迎ふが如く、比叡の山脈長く連なり外国の龍体を護るに似たり。 … 以下略

ところが殿下は、「常盤ホテル」にお着きになって、新館の洋間よりは、北側旧館の日本館が気に入られて、急遽、ご寝室は日本間に変更になりました。

<日出新聞>

●日本館を好ませらる 5月12日
同殿下は新築旅館の設け在りしも、西洋風のことなれば日本造りを好ませられ、寝室を日本造りにせよとの事にて、一昨々夜俄かに日本館に移し、日本館の東北の座敷を以て露皇太子に、其次を以て希臘皇子の御寝所と定めたるよし。

 

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ニコライ殿下が
宿泊された日本間

当時の最高級室の
文桂掌による襖絵

 

皇太子は京都でも、なかなかのご発展ぶりでした。到着のその夜は、皇太子ご一行の歓迎のため、東山如意ケ岳ほかの五山に、時ならぬ送り火が点火されて、旅情をお慰めしたのですが、9時過ぎからおしのびで中村楼に繰り出して、きれいどころの手踊りをご覧になっています。

<中外電報>

●中村楼の春色 5月12日
東洋の風物は、眼に見給ふもの耳に聞き給うもの皆珍しく思し召ならん。長崎に於ける露国皇太子殿下の酒々落々たる御挙動(ふるまい)は、吾輩既に承りぬ。去九日当地へ御着相成りて、常盤ホテルに食事を終わらせられ、楼上にて東北諸山の大文字其他雲間に點じ出せし京都の一名物をご覧の上、九時半頃俄かに祇園中村楼へ、他の一行と倶に微行あらせられしが、豫て用意のありしことにや、窈窕たる舞妓二十名、婀娜たる芸 妓二十名、玄関に整列して迎へ奉りぬ。斯くて殿下は、楼上にて日本風に坐し給ひ、日本料理を召され、又た日本の酒は特に愛でさせ給ひ、葡萄酒を侑め参らすものあるも辞して受け給はず、宴稍々酣なるに至りし頃、酌を取りたる雛拍子、細袖を翻へして舞ひ出たり。
… 中略 …

雛妓の殿下おいくつなど伺へば、日本語もて二十二と御答へあり、又入れ墨りことを問ひ奉りしに腕を半ばまく りて見せ玉しよし、希臘皇子も御歳は若けれど同じくホタへさせ給ひ、御満悦の體にて、更闌くるまで楼上は糸竹の声絶えず、有栖川宮殿下、川上中将、三宮式部次長、其他数名も列席にて、深夜に一同と御帰館ありしと云。



有栖川宮とは、接伴委員長を勤められた 威仁(たけひと)親王、 また川上操六中将は副接伴委員長でした。つぎの日は、京都貿易商組合の接待で左阿弥楼で午前2時まで、芸妓舞妓を相手の宴席がありました。ニコライ殿下の当日の日記は、つぎのとおりです。

『ニコライ2世の日記』

●5月10日 日曜日
夏の朝9時30分、人力車で京都博覧会場に向かった。そこで絶品を見て、目がただただ眩しかった。数点の品物を買った。それから御所を訪れた。
そこには日本の貴族が民衆のために陳列した美しい古美術品のコレクションがあった。

馬場で市長が市民代表委員全員と一緒に私に対して祝辞を読み、それに答えて私 も挨拶をした。それより同苑内で遠的射と古い衣装を着た人の独創的な競馬を見た。この競馬は年に1回だけ催されている。

昼食のために旅館に帰り、午後2時半に再び予定どおり京都見物を始めた。もう 京都で自分がどこにいるのかわかるようになっている。すばらしい帯や家具のために極めて美しい材料を生産している有名な工場を訪れた。とりわけ美しいゴブラン織物が作られているのを見た。二年前に始めたという。将軍の御殿では色彩と天井の古い青銅の装飾品に魅惑させられた。

最後に二つの仏教寺院を訪れた。一つは四百年の歴史のある寺で、京都で最古の寺であり、もう一つでは新しい寺を建設中である。この二つの寺にはすばらしい庭があり、僧侶の家で茶をご馳走になった。僧侶は非常によい人たちで、親切に案内してくれた。7時頃夕食のために宿に帰った。

今日は一日熱心に走り回り、京都見物をした。午後9時に再び茶屋に行った。ゲ オルギオスは主に年増芸者をやっつけ、芸者に嬌声を上げさせた。芸者の踊りはすばらしかった。神戸から来たドゥバーソフ(フリゲート艦長)は非情に満足していた。芸者と別れ、宿に帰ったのは11時半だった。

ゲオルギオスは、ギリシャ皇子のジョージ殿下です。ニコライ皇太子は、将来のお子様の帝王学のために日記をつけておられますが、日記では午後11時半の御帰館とされています。しかし、京都府の記録では、前夜もこの夜も、午前2時に戻られたとあります。皇太子もさすがに少 々気がひけてサバを読まれたのであろうと翻訳者の保田孝一教授(岡山大学)は解説されています。

なお、「すばらしい帯や家具のために極めて美しい材料を生産している有名な工場」とは、ホテル建設のために、勧業場の跡地払い下げで、前田又吉と競り合った川島甚兵衛の川島織場です。




明治24年

この年、東京では第一議会が紛糾。議事堂が焼失するというおまけまでついたが、結局、政府は何とか議会を乗り切る。京都では京都商工会議所が発足し、産業人の意気は上がる。そして、ニコライ皇太子の来京…。

威仁親王

有栖川宮家最後の親王。兄の熾仁(たるひと)親王は、戊辰戦争時の東征大総督、のち、参謀総長にもなった軍人として著名。

川上操六中将(1846−1899)

薩摩藩出身、陸軍大将。日清戦争では大本営幕僚をつとめ、後、参謀総長。

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