100年ものがたり

第一部 前史編

11.「常盤ホテル」

前田又吉の大ホテル建設の構想は、明治22年10月の「中外電報」「日出新聞」で知る事ができます。

<中外電報> 明治22年

●又々官地払下の出願   10月 2日
……中略……
発起人は前田又吉(神戸常盤主人)安藤文平(京都株式取引所支配人)の両氏にして、坪三円の割りにて払下げられたき旨区役所を経て京都府へ出願せり。其設計は少しく他の発起人と異なり、なるべく西洋建築の模造を避け、食堂および寝 室の外は凡べて固有の日本風となし、器具装飾品は悉く日本美術品を用ひ、宿泊の外国人をして一は日本器具および装飾品の用法を知らしめ、一は販路を拡めん とするにありと。又愈々地所を払い下げられたる上は直に工事に着手し、来廿三年三月迄竣功せしむる予定なりと。

●「ホテル」設計   10月 5日
上京河原町通二条下る旧勧業場跡の地所は数項の条件附きにて安藤文平、前田又吉の両氏に払下げられ たる趣きを前号に詳報せしが、其「ホテル」の説明を聞くに、北手に煉瓦石造(二階)と南手に日本造(二階)の二棟を建て裏手を運動場とし、正面には石の大燈籠を据へ周囲には緑樹を植え付ける筈にて、既に地均し最中なるが、本月中旬頃より起工する予定なりとのこと。


<日出新聞> 明治22年

●京都ホテル   10月 6日
今度京都府元勧業跡地を前田又吉外一名に払下げられたるに付き、前田氏は一昨々日大阪へ下り、日本土木会社 に赴き京都「ホテル」建築の請負を委ね、同時に石工・植木屋等に就き夫々引合をなし、又該地所の北手には煉瓦造りと南手に日本造りの二階立て二棟づゝ建築する設計をなして地均しに掛かりたるが、其内煉瓦造りの方は来年三月迄に成功せしむる筈にて、其出来次第中央に一大館を建築するよし。
又地代金一万円は昨日京都府へ上納し、又一方には東京横浜長崎等の旅館へ通じて将来の連絡を掛け合いたりといふ。



建築を請け負った日本土木会社は、明治20年に渋沢栄一・大倉喜八郎・藤田伝三郎ら財界の大物によって 設立された我が国最初の法人の請負業者です。
建築は、南の煉瓦館、ついで北の日本館の順に建てられ、最後に両棟の中央に3回館の洋館が姿を見せることになっていました。工事の進み具合は、新聞ではよ くわかりませんが、「日出新聞」から関連の記事をひろってみます。

 

<日出新聞> 明治23年

●京都「ホテル」    2月26日
目下河原町二条下る処に建築工事中なる京都「ホテル」の外部は既に九分通り成功し、昨今は専ら内部の装飾に 着手中なる由。其装飾に用ふる一切の器具は、可成京都製にて用を足す見込みにて、其内「テーブル」掛け、窓掛け、段通の類は烏丸高辻下る飯田新七氏に注文し、又椅子、「テーブル」類は見本を神戸より取寄せ三条通り麩屋町西入る西洋雑具商奥村商店へ誂へ、又畳、陶器類も悉く京都の当業者に注文したりと。而し て同「ホテル」に雇入るゝ「コック」は兼ねて東京の鹿鳴館に用ひおりたる某外国人を雇入れ、「ボーイ」は神戸、長崎、横浜辺より数十名募集する筈なりと ぞ。

●昼夜工事   3月13日
河原町二条下る処に建築中なる京都ホテルは今度京都行幸に付供奉の方々に旅館に充てんと、其工事を取急ぎ一 昨日より昼夜工事をなしおるにより、来る廿五、六日頃には必ず成功すべしとの事なり。

●京都ホテル   4月 2日
河原町二条の京都「ホテル」にては、其構内の南手に玉突き場・楊弓場を設け、又北手に陶銅漆器、扇子、織 物、骨董品等の陳列場を設けんと昨今準備中なるよし。

●常盤楼の開業祝ひ   4月16日
河原町二条下る常盤楼にては、今度開業祝ひとして、一昨日午後三時より京都の実業家・京都新聞社員及び楼主 前田又吉氏の知己など四十余名を招待して饗応し、来賓には新築の各室を案内して縦覧せしめたりといふ。




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琵琶湖疎水のインクライン
琵琶湖疎水の第一期工事完成を祝って、 明治23年4 月に、天皇も臨席されて盛大な祝賀会が開かれています。前田又吉は、ホテルの建設をこれに合わせるため、工事を急いだのでした。

完成披露の絵入りの新聞広告が、4月15日の「京都日報」に掲載されています。この絵によってホテルの建物の配置などは、最初の計画通りに進んでいること が知ることが出来ます。

 

 

明治23年 4月15日 京都日報
新築落成についての広告
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門は、河原町に画して西向きに開いていますが、勧業場時代の門をそのまま利用していることがわかります。門の右側に守衛詰め所、左が人力車の車夫詰め所にあてられていたようです。中央に大きく庭をとり、それを囲んで、三方に独立した建物があります。正面の、鴨川を背にした2階建ての建物が、本館ロ ビーで、1階はロビーやサロン、食堂など、2階は豪華な特別室を含めて、客室にあてられていました。右手の2階建ての洋館が、新しく完成したレンガ造りの 客室でしょう。これが第二期工事にあたります。第三期工事で出来た日本館は、画面の左手に屋根だけが見えています。
その手前の屋根は、2階建ての洋館で、備品などの倉庫でした。

 

引き続き、正面の建物を壊して、3層の洋館を建てています。これが第四期工事にあたりますが、これの完成がいつであった、わかりません。明治24年に、ロシア皇太子ニコライ殿下を迎えた時は、2層までしか出来ていませんでした。その後、3層目の完成を 知らせる新聞記事が見当たらないからです。

広告に料金表がつけられています。宿泊料は1人50銭、 その次に「同御次」とあって、1人が35銭となっています。夫婦などの2人目は35銭に割り引きとの意味でしょうか。会席料理のほか西洋料理の料金がでて います。

 

ところで、このホテルの正式な名前はなんでしょうか。この広告では、画面の中央上段に、英語で「KIOTO  HOTEL」の文字と、日本語で「京都御旅館」と書かれています。また、左隅には「京都河原町二条南」の所在地とともに、活字を大きくして「常盤」として あります。この広告を見る限りでは「常盤」がホテル名のように受け取れます。

このように、前田又吉が勧業上の払い下げを受けて、河原町二条下るに建てたホテルは「京都ホテル」と呼ばれましたが、開業披露の記事では 「常盤楼」となっています。前田も、時に応じて、使い分けをしたかも知れません。しかし正式な名前は「京都ホテル」であったようです。明治24年、 ロシア皇太子が「京都ホテル」に宿泊されましたが、前田が京都府にあてて出した文書では「京都ホテル館主」と署名し、「京都ホテル」の角印を使用しています。また新聞に掲載した広告でも前田は「京都ホテル」としています。

ところが、府庁側では、「常盤ホテル」としています。新聞も24年4月以降は「常盤ホテル」に統一しています。どうやら「京都ホテル」がロシア皇太子の宿舎に選ばれ、その名がたびたび紙面にでるようになったため新聞社としてもホテルの名前を統一しておきたかったものと思われます。

「京都ホテル」ですと、京都のホテル一般を指すような印象が強くて、抵抗を感じたためとも考えられます。

 

<日出新聞> 明治24年

●露国皇太子殿下御旅館の検分   4月22日

皇太子殿下の御旅館なる常盤ホテルの新築工事竣工せしにより  ……中略……
因に記す、有栖川宮殿下の御旅館川端二条常盤に定りたりと。

●広告   5月19日
兼テ御通知ニ及置候本館落成式ノ儀露国皇太子殿下御遭難ニ付当分中止致候此段謹告ス

明治廿四年五月

河原町三条上ル 京都ホテル

殿下既ニ御出発被在候ニ付如旧営業致間陸続仰貴臨奉希候

 


第一期琵琶湖疎水工事概要

明治20年……第一トンネル、第四トンネル貫通。
明治21年……大津閘門完工、第三トンネル貫通、水路閣竣工、第六トンネル完成。
明治22年……第一トンネル貫通、蹴上げインクライン完成、大津運河鹿関橋完成。
明治23年……第五トンネル完成、聖護院閘門完成、全工事竣工・開通式。

明治23年

第1回衆議院議員総選挙、引き続いて第1議会が招集されたのがこの年。各種法典もこの頃までに整う。教育勅語発 布される。また同志社の設立者、新島襄が没したのもこの年。

一人50銭

この頃、大工の手間賃50銭、米10キロ46銭、ちなみに、同年開業の帝国ホテル宿泊 料2円50銭。

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