100年ものがたり

第一部 前史編

1.異人旅館事始め

幕末の開港で、外国文化がどっと、日本に入ってきます。外国居留地にはいち速く欧米式の旅館が建てられます。まず賑わったのが横浜です。文久3年(1863)イギリス人が外国人専用の社交場として、客室やレストラン、バーなどを備えた「横浜クラブ」をつくりました。
明治2年(1869)には「クラブハウス」と名を改めて、ホテル専業となります。どうやら、これがわが国最初の本格的なホテルのようです。大正時代まで営業を続けました。

横浜では、慶応元年(1865)にできた「ウインザーハウス」も評判で、二代広重が「横浜海岸通十八番異人旅館之図」として、その様子を錦絵に描いています。このホテルは明治20年代に「グランドホテル」に吸収されました。

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横浜ウインザーハウス


東京の築地、当時はまだ江戸でしたが、慶応3年(1867)に築地一帯が外国人居留地に指定されると、早速、半官半民の経営でホテルの経営が始まります。「築地ホテル」です。
翌年、明治改元の直前に完成しています。本館は4階建てで、中央には高さ28.5mの塔屋を備えるという、堂々たる建築です。客室は本館が77室、平屋の別館にも26室あって、合計103室でした。外国なら300人が宿泊できる広さなのに、100人程度の収容能力です。それだけ部屋はゆったりとしていたようです。残念ながら外国人の利用者が少なく、明治4年には政府が出資をやめ、さらに翌年には火災にあって、焼失しました。わずか4年に満たない生命でした。

その築地には、フランス料理が自慢の「精養軒ホテル」がありました。岩倉具視ら政府高官と財界の支援によって、明治6年に開業したものです。客室、食堂、宴会場などを備えました。明治10年には、上野に支店を設けましたが、ここも、明治23年の上野の博覧会を機に、客室を増改築してホテルとしても利用されました。

関西では、神戸の開港が慶応3年、翌年には大阪も開かれました。大阪の居留地には、明治2年に外国人の止宿所が出来ています。その司長には、長崎で西洋料理店を経営していた草野丈吉が任命されましたが、草野は料理の腕もすぐれていたらしく、翌年、独立してホテル兼西洋料理の店を始めました。「欧風亭ホテル」といいます。
明治4年、居留地の外に移転して「自由亭」と改めました。なかなか繁盛したようです。これに気をよくして、明治10年、草野は京都に進出して、祇園八坂神社の大鳥居前に「自由亭」を開いています。このことは、後にまた、ふれましょう。

神戸では、慶応4年にフランス人が、「オテル ド コロニー」というヨーロッパ風のホテルを経営しています。これが、後に、「オリエンタルホテル」となります。


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