100年ものがたり

第一部 前史編

1.異人旅館事始め
幕末の開港で、外国文化がどっと、日本に入ってきます。外国居留地にはいち速く欧米式の旅館が建てられます。まず賑わったのが横浜です。文久3年(1863)イギリス人が外国人専用の社交場として、客室やレストラ...
2.京のホテル「中村屋」
京都に外国人のための専門の宿泊施設が出来たのは、祇園の「中村屋」が最初です。もともと、祇園八坂神社の大鳥居の前には、参道をはさんで東と西に腰掛け茶屋があったところから二軒茶屋と呼ばれました。西の店は早...
3.京都博物館
ところで、都が東京に移ってしまうと、京の町は、すっかり火が消えたようになりました。知事をはじめ、町衆の主だった人たちが、殖産興業による新しい町づくりに、真剣に取り組みました。琵琶湖疎水やチンチン電車な...
4.「中村屋」のメニュー
博覧会の会期中、外国人の宿泊については、公使以下の貴族の宿は、知恩院の塔頭5カ寺をあて、一般外国人には円山・下河原の日本旅館19軒を指定しました。食事はすべて、「中村屋」がつくって、各宿に届けたといい...
5.「自由亭」の進出
さきにも紹介しました草野丈吉の「自由亭」が、明治10年ごろ、京都へ進出してきました。詳しい記録が残されていないために、「自由亭」の経営者を、「京都ホテル」とも関係の深い前田又吉としたり、「中村楼」とし...
6.「也阿弥」(やあみ)
マレーの『案内記』第3版は明治24年に出ましたが、京都のホテルに新しく「也阿弥」と「常盤ホテル」とが登場しました。「常盤ホテル」は明治21年の創業で、後に「京都ホテル」となりますので、詳しくご紹介する...
7.大ホテル待望論
新聞には、しばしば「京都にも大ホテルが必要である」というような記事が載りました。代表的なものを一つ、紹介しましょう。   ●迎賓館と荷問屋 些に早計の話のやうなれど、今琵琶湖疎水工事出来のう...
8.勧業場払い下げ
京都勧業場   河原町二条下ルの勧業場の払い下げは、すんなりとは、進みませんでした。川島甚兵衛の申請に対し、府の勧業課が、厳しい条件を幾つか持ち出しています。 まず、坪3円とし、しかもホテ...
9.「常盤別荘」
前田又吉は、勧業跡地に大ホテルを建てるのに先立って、明治21年、 まず二条橋西 詰め上ル の地に、旅館「京都常盤」をつくっています。 神戸の諏訪山や宇治川に建てた「常盤桜」「常盤花壇」などは子供たち...
10.フェノロサ夫妻
話は少し飛んで、明治29年になりますが、日本美術の海外紹介に大変功績のあったフェノロサが、 新妻と友に京都で1ヵ月ほど、二条橋詰めの「常盤」を借りて住みました。   フェノロサ夫妻 フェノ...
11.「常盤ホテル」
前田又吉の大ホテル建設の構想は、明治22年10月の「中外電報」「日出新聞」で知る事ができます。 <中外電報> 明治22年 ●又々官地払下の出願   10月 2日 ……中略...
12.ニコライ皇太子
「常盤ホテル」は幸運にも、開業早々に、ロシア皇太子ニコライ殿下という最高のお客様をお迎えしました。明治24年5月のことです。 それが、思いがけない大津事件に発展して、「常盤ホテル」の名は内外に知れわた...
13.大津事件
明治24年5月11日のことでした。京都に2泊されたニコライ皇太子、ジョージ親王は、この日、琵琶湖観光のため、大津に向かいました。滋賀県庁で食事を 終えられ、帰途につかれた直後、大津市京町筋下小唐崎にさ...
14.天皇の病床お見舞い
事件の夜の「常盤ホテル」は、物々しい雰囲気でした。皇太子慰問の貴紳はひきもきらず、市民は又、花や菓子などをお見舞いにと献上して、ホテルの前には、臨時の受付までできました。新聞は当夜の様子を次のように伝...
15.大津事件・余聞
その1・皇太子のお部屋 「常盤ホテル」にお泊まりのニコライ皇太子は、日本間がお気に召されましたが、そのお部屋が当時のままに、今も保存されています。場所は円山公園の安養寺の書院です。 大津事件以来、ニ...
16.「常盤」の経営難
大津事件で、「常盤ホテル」は、すっかり有名になりました。ほかの旅館が羨ましがっているなどという新聞記事さえ出ました。   <日出新聞>  明治24年5月14日 ●常盤の名を羨む 京都の常盤ホ...
17.『又吉泉記』
前田又吉は、明治26年1月12日、ついに帰らぬ人となりました。戒名は「大功院仁徳信常居士」、64歳でした。大阪天王寺区の源聖寺に葬られています。 前田又吉の履歴については、詳しい記録が残されていません...
18.伊藤博文の手紙
伊藤博文と前田又吉との出会いが、どのようなものであったか、知る手掛かりはありません。博文が初代の兵庫県知事として赴任したころは又吉はすでに「常盤花壇」を経営して、名士の仲間入りをしていたことでしょう。...
19.『前田又吉銅像記』
前田又吉の死後、生前に親交のあった北風正造のほか、神戸の人たちが、伊藤博文その他の知友に寄付を求めて、銅像をつくりました。銅像自体は、残念ながら戦時中に供出されて、今は伊藤博文の銘文を彫り込んだ石碑だ...
20.三井との紛争
「常盤ホテル」の経営難が報ぜられたのは、前田又吉が死去する3ヶ月前の明治25年10月でした。同ホテルは、又吉の娘ハナと入り婿の常蔵が経営にあたりました。債権者の三井銀行は、強硬手段を避けて、償却期限を...
21.宿泊人員表
前田又吉は明治26年の1月に亡くなりましたが、その年の1月から12月までと、翌27年1月から3月13日までの1年3ヶ月間の「宿泊人員表」が2冊残っています。 宿泊者の名前、年齢、職業、族籍、住所、到着...

「京都ホテル100年ものがたり」サイト内の内容の全部または一部を無断で複製・転載することはご遠慮ください。
京都ホテルグループ
〒604-8558 京都市中京区河原町通二条南入一之船入町537-4
TEL/075-211-5111(代表)

Kyoto Hotel Okura

KARASUMA KYOTO HOTEL

Copyright © 2010 THE KYOTO HOTEL,LTD. All Rights Reserved.